<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	>

<channel>
	<title>ナカムラ　ユウコウの世界</title>
	<atom:link href="http://www.nakamurayukoh.com/?feed=rss2" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://www.nakamurayukoh.com</link>
	<description>コトバとイラストで綴る癒しの空間</description>
	<pubDate>Tue, 09 Feb 2010 08:27:21 +0000</pubDate>
	<generator>http://wordpress.org/?v=2.5.1</generator>
	<language>ja</language>
			<item>
		<title>「一生、この自分を元気で楽しく幸せな人生にしてくれる決定的なコトバと出会いたい。」</title>
		<link>http://www.nakamurayukoh.com/?p=23</link>
		<comments>http://www.nakamurayukoh.com/?p=23#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 20:59:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yukoh</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[コトバの力]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.nakamurayukoh.com/?p=23</guid>
		<description><![CDATA[

 「一生、この自分を元気で楽しく幸せな人生にしてくれる決定的なコトバと出会いたい。」きっときっと、必ず世界のどこかに、そんなコトバがあるに違いないと、紙とペンをいっぱいリュックに詰め込んで、虫取り網を手にもって、虫かご肩からさげて、３０数年もの間、旅を続けて来ました。
 少年時代に患った原因不明の熱病の高熱は今だ下がらず、４８にもなって髪の毛は薄くなり腹は出て目元のしわが増えても、虫取り網を放さず少年のままでいるおかしな私です。
 コトバは、この宇宙に美しく眩しく輝きながら泳いでいる熱帯魚です。時に一匹、数匹で、そして時に無数の群れで泳いでいます。それを、すくい取るだけのことで、私は、早朝から良く働く、働きものの漁師です。
 しかし、それを殺して食べはしません。宇宙とまったく同じ大きさの私の宇宙に移動させて、また、自由に楽しく泳いでもらいます。彼らにとって私という宇宙大の宇宙の海と、今まで泳いでいた宇宙との区別はありません。なぜなら、その大きさも、食塩濃度も、その他の海水組成もまったく同じだからです。
 私はコトバや文章を書くとき、まったく考えません。思考ゼロです。手がかってにペンをどんどん動かしていきます。あえて言うなら意識ではなく無意識が、ペン先で宙から文字を次々引っ掛け、紙の上に落としていきます。工夫したり考えたりということはなく、私の個性など何一つ意図されず、そもそもその時、私など存在していないのです。だから、私の文章は私のものはではないともいえます。宇宙のもの、みんなのものです。
 私は個性的、独創的、斬新なアイディアをいっぱいキャンパスに詰め込もうと血気盛んなシュールリアリストではなく、ただただ一心不乱に宇宙を飛び交う、目の前を飛び交いやってきたものたちをスケッチしメモし描き出すだけの、あまり面白みのない、まじめなだけの絵描きです。
 
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong></strong></p>
<p><strong><a href="http://www.nakamurayukoh.com/wp-content/uploads/2008/07/noefbc91efbc98e382a2e382a4e383a9e38396e383a6e382a6.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-29" title="noefbc91efbc98e382a2e382a4e383a9e38396e383a6e382a6" src="http://www.nakamurayukoh.com/wp-content/uploads/2008/07/noefbc91efbc98e382a2e382a4e383a9e38396e383a6e382a6.jpg" alt="" width="168" height="286" /></a></strong></p>
<p><strong> 「一生、この自分を元気で楽しく幸せな人生にしてくれる決定的なコトバと出会いたい。」</strong>きっときっと、必ず世界のどこかに、そんなコトバがあるに違いないと、紙とペンをいっぱいリュックに詰め込んで、虫取り網を手にもって、虫かご肩からさげて、３０数年もの間、旅を続けて来ました。</p>
<p> 少年時代に患った原因不明の熱病の高熱は今だ下がらず、４８にもなって髪の毛は薄くなり腹は出て目元のしわが増えても、虫取り網を放さず少年のままでいるおかしな私です。</p>
<p> <strong>コトバは、この宇宙に美しく眩しく輝きながら泳いでいる熱帯魚です。</strong>時に一匹、数匹で、そして時に無数の群れで泳いでいます。それを、すくい取るだけのことで、私は、早朝から良く働く、働きものの漁師です。</p>
<p> しかし、それを殺して食べはしません。宇宙とまったく同じ大きさの私の宇宙に移動させて、また、自由に楽しく泳いでもらいます。彼らにとって私という宇宙大の宇宙の海と、今まで泳いでいた宇宙との区別はありません。なぜなら、その大きさも、食塩濃度も、その他の海水組成もまったく同じだからです。</p>
<p> 私はコトバや文章を書くとき、まったく考えません。思考ゼロです。手がかってにペンをどんどん動かしていきます。あえて言うなら意識ではなく無意識が、ペン先で宙から文字を次々引っ掛け、紙の上に落としていきます。工夫したり考えたりということはなく、私の個性など何一つ意図されず、そもそもその時、私など存在していないのです。だから、私の文章は私のものはではないともいえます。宇宙のもの、みんなのものです。</p>
<p><strong> 私は個性的、独創的、斬新なアイディアをいっぱいキャンパスに詰め込もうと</strong>血気盛んなシュールリアリストではなく、ただただ一心不乱に宇宙を飛び交う、目の前を飛び交いやってきたものたちをスケッチしメモし描き出すだけの、あまり面白みのない、まじめなだけの絵描きです。</p>
<p> </p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.nakamurayukoh.com/?feed=rss2&amp;p=23</wfw:commentRss>
		</item>
		<item>
		<title>コレクター、この世界、クリエーター。</title>
		<link>http://www.nakamurayukoh.com/?p=22</link>
		<comments>http://www.nakamurayukoh.com/?p=22#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 02 Jul 2008 03:34:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yukoh</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[コトバの力]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://58.138.175.70/yukoh/?p=22</guid>
		<description><![CDATA[
　男は女に比べて、コレクター癖が強いらしい。少なくとも、世界の男のことは知らないが、私はコレクターだ。少年時代は、石ころや、今思えば本当に残虐にも昆虫を集めたりしていた。ガムの包み紙や、メンコという絵のついたカードや、ビー玉も集めた。それらは、みんなゲームのツールだ。若い頃は、本を集めた。一千冊まで、タイトル･著者名･出版社と時に感想や所感、書評如きものを書いてノートにつけたが、いつの間にかノート作りは途絶えてしまった。やがて、誰かが作ったものや書いたもの、世界に存在しているものではなく、自分の頭の中にあるイメージやアイディアを図象や絵にし、自分の生きた時々を、その思いを、文字の塊に変換して形を持たせ、私は、自分の人生をコレクトし始めた。それが、かれこれ数十年と続いている。
　その時は、気づかない意識もしない、後になって、今になって初めて気づく色があり、形があり、香りや臭おいがある。今は分からないけれど、この「今」は、格別に素晴らしい時を生きているかもしれない。歳を重ねるごとに、はっきりしたたくさんの愛情、感情の対象に、はっきりとした行動をもってその愛情と感情に対処し、表現することで毎日が本当に忙しくなっている。それは、若い時のように妄想なのか、欲望なのか、愛なのかわからない化け物のような思いに、センチメンタリズムやナルシズムやペシミズムで、ぐちゃぐちゃとした中途半端な対処と行動で、いつの間にか時は流れていましたというような日々ではない。きっと、ずっと後になった時、そんな今の生活は、若い時よりも、きらきら輝いているに違いない。
　昔は良かった話は、自分が話すのも空しく、聞くのも悲しい。
　いつだって、いつの時代だって、この人生は眩しくキラキラしているってこと。この私たちの生きている世界は、宇宙でたった一つのもと、まぶしくキラキラ輝く一度きりの出来事だけで溢れかえっている夢の国のように美しい、メリーゴーランドのように楽しい世界だ。きらきらまぶしく輝く宝物で溢れるこの日常、この世界は、コレクトしようとしてもしきれない、コレクターお手上げのこの世界だ。
　その宝物が見えない人のために、色や形をつけ、コトバに還元して形を持たせて目に見えるようしてあげるのが、絵描きさんや文書きさんたち、さまざまなクリエーターと呼ばれる人たちの仕事だ。
 　個人的趣味で言わせてもらえば、人生の「今が一番、大好き」と、言える感じているそういう人が私は好きだ。
 
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.nakamurayukoh.com/wp-content/uploads/2008/07/c2.gif"><img class="alignnone size-medium wp-image-28" title="c2" src="http://www.nakamurayukoh.com/wp-content/uploads/2008/07/c2.gif" alt="" width="157" height="209" /></a></p>
<p>　男は女に比べて、コレクター癖が強いらしい。少なくとも、世界の男のことは知らないが、私はコレクターだ。少年時代は、石ころや、今思えば本当に残虐にも昆虫を集めたりしていた。ガムの包み紙や、メンコという絵のついたカードや、ビー玉も集めた。それらは、みんなゲームのツールだ。若い頃は、本を集めた。一千冊まで、タイトル･著者名･出版社と時に感想や所感、書評如きものを書いてノートにつけたが、いつの間にかノート作りは途絶えてしまった。やがて、誰かが作ったものや書いたもの、世界に存在しているものではなく、自分の頭の中にあるイメージやアイディアを図象や絵にし、自分の生きた時々を、その思いを、文字の塊に変換して形を持たせ、私は、自分の人生をコレクトし始めた。それが、かれこれ数十年と続いている。</p>
<p>　その時は、気づかない意識もしない、後になって、今になって初めて気づく色があり、形があり、香りや臭おいがある。今は分からないけれど、この「今」は、格別に素晴らしい時を生きているかもしれない。歳を重ねるごとに、はっきりしたたくさんの愛情、感情の対象に、はっきりとした行動をもってその愛情と感情に対処し、表現することで毎日が本当に忙しくなっている。それは、若い時のように妄想なのか、欲望なのか、愛なのかわからない化け物のような思いに、センチメンタリズムやナルシズムやペシミズムで、ぐちゃぐちゃとした中途半端な対処と行動で、いつの間にか時は流れていましたというような日々ではない。きっと、ずっと後になった時、そんな今の生活は、若い時よりも、きらきら輝いているに違いない。</p>
<p>　昔は良かった話は、自分が話すのも空しく、聞くのも悲しい。</p>
<p>　いつだって、いつの時代だって、この人生は眩しくキラキラしているってこと。この私たちの生きている世界は、宇宙でたった一つのもと、まぶしくキラキラ輝く一度きりの出来事だけで溢れかえっている夢の国のように美しい、メリーゴーランドのように楽しい世界だ。きらきらまぶしく輝く宝物で溢れるこの日常、この世界は、コレクトしようとしてもしきれない、コレクターお手上げのこの世界だ。</p>
<p>　その宝物が見えない人のために、色や形をつけ、コトバに還元して形を持たせて目に見えるようしてあげるのが、絵描きさんや文書きさんたち、さまざまなクリエーターと呼ばれる人たちの仕事だ。</p>
<p> 　個人的趣味で言わせてもらえば、人生の「今が一番、大好き」と、言える感じているそういう人が私は好きだ。</p>
<p> </p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.nakamurayukoh.com/?feed=rss2&amp;p=22</wfw:commentRss>
		</item>
		<item>
		<title>アフリカで衝撃の「魔法使い狩り」　</title>
		<link>http://www.nakamurayukoh.com/?p=17</link>
		<comments>http://www.nakamurayukoh.com/?p=17#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 29 May 2008 06:18:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[コトバの力]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://58.138.175.70/wp_1/?p=17</guid>
		<description><![CDATA[
 魔女狩りは、聞いたことがある。似ているけれど、魔法使い狩りは、初めて聞いた。
「　アフリカ東部ケニアの西部の村２カ所で、魔法使いと決め付けられた１１人が暴徒化した群衆に襲撃され、焼死した。警察関係者が２１日明らかにした。 犠牲者は女性８人と男性３人で、４０代の１人を除き７０─９０代の高齢者。 群集は息子や娘に魔法をかけている疑いがあるとして、１１人を攻撃標的にしたとされる。 」
  ロードオブザリングやハリーポッターなどの本や映画の話題がピークなりし頃、全国紙の雑誌「ダ・ヴィンチ」の依頼で、16ページにわたるファンタジー特集のイラストを描いたことがある。文章の執筆者は、超人気の女流芥川受賞作家の川上弘美さんを初め、そうそうたる面々だったが、その時、たまたま、やり取りの会話の中で、編集の方が「作家の方が、苦労しているようで原稿がまだ届いてないのがあって、・・・」穴が開いたらどうしようなんて感じの言葉を聞き、何を血迷ったのか私は、イラストを描きながら「魔法使い」について思索を始め文章を書きあげた。
   その文章も、どこか探せばあるんだろうけど、探すのは大掃除になりそうだ。ただ、その時ひらめいた一番大切なことは、頭の中にある。「魔法使いは、物質にも命があることを悟ったものたち」つまり、この宇宙に存在するすべてに命という共通の法則がある事を知った者たちということだ。
   命は、思いや心、願いや祈りというものに反応し、だから、命ある物質も、またその命ある物質で出来ている宇宙も、思いや心、願いや祈りというものに反応するというそういうことが分かっている人たちが魔法使いだ。その自分の思いや心、願いや祈りを、より強く深くするための自分の呪文やシステムをそれぞれが開発して持っているのだ。
   この宇宙、この世界は、実は、思った以上にロードオブザリングでありハリーポッターで、思いや心の通りになり、願いや祈りの通りなるファンタジーの世界なんだ。あの文章を書きあげた頃から、私も魔法使いの仲間入りをしたような気分になっており、ひそかに、日本で魔法使い狩りが行なわれないよう祈りながら、このニュースを読んでいる自分に気づいたのである。本気だな。 
 
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><a href="http://www.nakamurayukoh.com/wp-content/uploads/2008/07/noefbc91efbc92e698a5e5a48fe7a78be586ac1.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-32" title="noefbc91efbc92e698a5e5a48fe7a78be586ac1" src="http://www.nakamurayukoh.com/wp-content/uploads/2008/07/noefbc91efbc92e698a5e5a48fe7a78be586ac1-253x300.jpg" alt="" width="253" height="300" /></a></strong></p>
<p><strong> 魔女狩りは、聞いたことがある。似ているけれど、魔法使い狩りは、初めて聞いた。</strong></p>
<p>「　アフリカ東部ケニアの西部の村２カ所で、魔法使いと決め付けられた１１人が暴徒化した群衆に襲撃され、焼死した。警察関係者が２１日明らかにした。 犠牲者は女性８人と男性３人で、４０代の１人を除き７０─９０代の高齢者。 群集は息子や娘に魔法をかけている疑いがあるとして、１１人を攻撃標的にしたとされる。 」</p>
<p>  ロードオブザリングやハリーポッターなどの本や映画の話題がピークなりし頃、全国紙の雑誌「ダ・ヴィンチ」の依頼で、16ページにわたるファンタジー特集のイラストを描いたことがある。文章の執筆者は、超人気の女流芥川受賞作家の川上弘美さんを初め、そうそうたる面々だったが、その時、たまたま、やり取りの会話の中で、編集の方が「作家の方が、苦労しているようで原稿がまだ届いてないのがあって、・・・」穴が開いたらどうしようなんて感じの言葉を聞き、何を血迷ったのか私は、イラストを描きながら「魔法使い」について思索を始め文章を書きあげた。</p>
<p>   <strong>その文章も、どこか探せばあるんだろうけど、探すのは大掃除になりそうだ。ただ、その時ひらめいた一番大切なことは、頭の中にある。「魔法使いは、物質にも命があることを悟ったものたち」つまり、この宇宙に存在するすべてに命という共通の法則がある事を知った者たちということだ。</strong></p>
<p>   命は、思いや心、願いや祈りというものに反応し、だから、命ある物質も、またその命ある物質で出来ている宇宙も、思いや心、願いや祈りというものに反応するというそういうことが分かっている人たちが魔法使いだ。その自分の思いや心、願いや祈りを、より強く深くするための自分の呪文やシステムをそれぞれが開発して持っているのだ。</p>
<p>   <strong>この宇宙、この世界は、実は、思った以上にロードオブザリングでありハリーポッターで、思いや心の通りになり、願いや祈りの通りなるファンタジーの世界なんだ。あの文章を書きあげた頃から、私も魔法使いの仲間入りをしたような気分になっており、ひそかに、日本で魔法使い狩りが行なわれないよう祈りながら、このニュースを読んでいる自分に気づいたのである。本気だな。 </strong></p>
<p> </p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.nakamurayukoh.com/?feed=rss2&amp;p=17</wfw:commentRss>
		</item>
		<item>
		<title>８万枚の絵を描いた男の話</title>
		<link>http://www.nakamurayukoh.com/?p=16</link>
		<comments>http://www.nakamurayukoh.com/?p=16#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 29 May 2008 06:14:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[コトバの力]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://58.138.175.70/wp_1/?p=16</guid>
		<description><![CDATA[
　
 ピカソの話はしない。私は、ピカソの研究家でもなく、特別、思い入れがあり、たくさんの彼に関する本を読んできたわけでもない。ピカソが、その生涯で８万枚の絵を描いたとされるが、これはピカソの話ではなく、私の頭の中に住むある男の話だ。
 彼は、生涯に８万枚の絵を描いた。そんな膨大な仕事、制作、創造を可能にした秘密は、「今」への感受性だ。創作家、芸術家の命は、かねがね、私は、「今」への感受性、鮮度の高さ、それだと思っている。生涯に８万枚の絵を描いた彼の「今」は、それはそれは深かった。その「今」は強く、そして、その「今」は巨大だった。
 そこから、アイデアは次々あふれ湧き出し、心の中、頭の中は図象で沸き返し、手は自動に次から次と無数の絵を描いていった。生涯、創作において、躁状態で、朝から晩まで、あらゆる時と物に詩を見つけ、あらゆる感情、気分、思い、風や香りにさえ、形状を当てはめ、形をもたせ、ペンと筆とナイフで紙とキャンパスの上に自由に遊ばせた。
 「描きたいものが溢れ出すから、描き続ける。」あらゆる理由を超えて、いいわるいを超えて、絵描きがあるいは、描くという行為が人生において肯定される地点に、彼はいた。彼の人生が幸せだったかはわからない。ただ、描きたいものがない絵描き、書きたいテーマのない作家、それは地獄だということは確かだ。
 この宇宙で最も小さな「今」こそ、最も巨大な宇宙からのプレゼントだ。
 
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.nakamurayukoh.com/wp-content/uploads/2008/07/noefbc91efbc92e698a5e5a48fe7a78be586ac.jpg"></a></p>
<p><a href="http://www.nakamurayukoh.com/wp-content/uploads/2008/07/noefbc93e99d92e383aae383b3e382b4e381aee99bbbe99bbbe8bb8a-34e381aee382b3e38394e383bc.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-31" title="noefbc93e99d92e383aae383b3e382b4e381aee99bbbe99bbbe8bb8a-34e381aee382b3e38394e383bc" src="http://www.nakamurayukoh.com/wp-content/uploads/2008/07/noefbc93e99d92e383aae383b3e382b4e381aee99bbbe99bbbe8bb8a-34e381aee382b3e38394e383bc-261x300.jpg" alt="" width="261" height="300" /></a>　</p>
<p> ピカソの話はしない。私は、ピカソの研究家でもなく、特別、思い入れがあり、たくさんの彼に関する本を読んできたわけでもない。ピカソが、その生涯で８万枚の絵を描いたとされるが、これはピカソの話ではなく、私の頭の中に住むある男の話だ。</p>
<p> 彼は、生涯に８万枚の絵を描いた。そんな膨大な仕事、制作、創造を可能にした秘密は、「今」への感受性だ。創作家、芸術家の命は、かねがね、私は、「今」への感受性、鮮度の高さ、それだと思っている。生涯に８万枚の絵を描いた彼の「今」は、それはそれは深かった。その「今」は強く、そして、その「今」は巨大だった。</p>
<p> そこから、アイデアは次々あふれ湧き出し、心の中、頭の中は図象で沸き返し、手は自動に次から次と無数の絵を描いていった。生涯、創作において、躁状態で、朝から晩まで、あらゆる時と物に詩を見つけ、あらゆる感情、気分、思い、風や香りにさえ、形状を当てはめ、形をもたせ、ペンと筆とナイフで紙とキャンパスの上に自由に遊ばせた。</p>
<p> 「描きたいものが溢れ出すから、描き続ける。」あらゆる理由を超えて、いいわるいを超えて、絵描きがあるいは、描くという行為が人生において肯定される地点に、彼はいた。彼の人生が幸せだったかはわからない。ただ、描きたいものがない絵描き、書きたいテーマのない作家、それは地獄だということは確かだ。</p>
<p> この宇宙で最も小さな「今」こそ、最も巨大な宇宙からのプレゼントだ。</p>
<p> </p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.nakamurayukoh.com/?feed=rss2&amp;p=16</wfw:commentRss>
		</item>
	</channel>
</rss>
