8万枚の絵を描いた男の話

 

 ピカソの話はしない。私は、ピカソの研究家でもなく、特別、思い入れがあり、たくさんの彼に関する本を読んできたわけでもない。ピカソが、その生涯で8万枚の絵を描いたとされるが、これはピカソの話ではなく、私の頭の中に住むある男の話だ。

 彼は、生涯に8万枚の絵を描いた。そんな膨大な仕事、制作、創造を可能にした秘密は、「今」への感受性だ。創作家、芸術家の命は、かねがね、私は、「今」への感受性、鮮度の高さ、それだと思っている。生涯に8万枚の絵を描いた彼の「今」は、それはそれは深かった。その「今」は強く、そして、その「今」は巨大だった。

 そこから、アイデアは次々あふれ湧き出し、心の中、頭の中は図象で沸き返し、手は自動に次から次と無数の絵を描いていった。生涯、創作において、躁状態で、朝から晩まで、あらゆる時と物に詩を見つけ、あらゆる感情、気分、思い、風や香りにさえ、形状を当てはめ、形をもたせ、ペンと筆とナイフで紙とキャンパスの上に自由に遊ばせた。

 「描きたいものが溢れ出すから、描き続ける。」あらゆる理由を超えて、いいわるいを超えて、絵描きがあるいは、描くという行為が人生において肯定される地点に、彼はいた。彼の人生が幸せだったかはわからない。ただ、描きたいものがない絵描き、書きたいテーマのない作家、それは地獄だということは確かだ。

 この宇宙で最も小さな「今」こそ、最も巨大な宇宙からのプレゼントだ。